桜、舞い散り、舞い上がる ―― 人生の季節を歩む
東京に来て十二回目の春を迎えました。赤坂の街が淡い桃色に染まるこの季節、私の心には、これまで歩んできた各地の桜の記憶が鮮やかに蘇ってきます。
二十代までを過ごした京都の桜は、私にとって「始まり」の象徴でした。真っ新な制服に身を包んだ入学式。黒い布地の上に、ひらひらと舞い落ちる淡い花びら。そのコントラストは、新しい世界へ踏み出す背中を、優しく祝福してくれているかのようでした。
その後、長く過ごした北海道の桜は、いつも少し遅れてやってきました。五月の連休明け、厳しい冬を耐え抜いて凛と立つ「一本桜」。かつて私が関わった教会の庭で、妻の願いで残した一本の桜がいまや街の名木になっていると聞き、遠い北の大地に思いを馳せます。群生する華やかさとは違う、命の底力を感じさせる佇まいでした。
そして今、東京の桜を眺めています。その圧倒的な絢爛(けんらん)さは、歌人·西行が「花の下で死にたい」と願った気持ちが分かるほど見事なものです。しかし、その輝きは驚くほど短く、潔く散っていきます。風に舞う「桜吹雪」の凄絶なまでの美しさを肌身で知ったのも、この地に来てからのことでした。
冬の間にじっとエネルギーを蓄え、一気に咲き誇り、瞬く間に散りゆく。その劇的な移ろいは、私たちに「今、この瞬間を精一杯に生きる」ことの尊さを教えてくれます。
聖書の一節に、こんな言葉があります。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、わたしたちの神の言葉は永遠に立つ」
形あるものはいつか姿を変えますが、その変化の中にこそ、変わることのない「慈しみ」や「命の輝き」が宿っている。私は桜を見上げるたび、そう感じずにはいられません。
移りゆく季節の中で、変わらない温もりに支えられて生きる。今年もまた、皆さんと共にこの美しい桜を見上げ、同じ時代を歩める喜びを心から感謝したいと思います。
2026年4月1日